セルフ1とセルフ2

テニスコートには、ものすごい量の無言の会話が入り乱れています。

『もっと早くラケットを引くのだ!』
『ボールを見ろ!』
『膝を伸ばすな!』

…一体誰が誰に話し掛けているのだろう。
答えは、
あなたの中の【誰か】が、もう一人の【誰か】をののしったり、叱ったりしているのです。
そうです。
人間の中には、常に二人の自分が存在していることになります。

仮に、叱っている方を【セルフ1】、叱られている方を【セルフ2】と呼ぶとしましょう。
※マイセルフ=myself=のセルフ

セルフ1はセルフ2に指示を出したり、ののしったりすることが大好きです。
しかし、セルフ2には、口ごたえする権利が全くありません。
叱られっぱなし、命令されっぱなしなのです。

要するに、セルフ1とは、人間の知的、感情部分であり、
セルフ2は、本能的、肉体的部分なのです。


実際にテニスをプレーするのはセルフ2なのですが、セルフ1はいつも付きまとって、まるで自分(セルフ1)がテニスをやっているかのように出しゃばるのです。

ここで一番問題なのは、セルフ1はセルフ2の能力を全く信頼していないということ。
つまり、自分で自分が信頼できないのです。

赤ちゃんはなぜ歩くことを覚えられるのでしょうか。

お母さんが手取り足取りそばで教えるからでしょうか?
右足はここで、左足はここで、一つ一つ考えるからでしょうか?
セルフ1が、ああしなさい、こうしなさいと命令しセルフ2が言うことを聞いているのでもありません。

セルフ2だけが歩こうとしているのです。
その結果、誰からも教わらずに、自然に歩くことを習得するのです。

もし、大人がテニスを覚え始める時に、
赤ちゃんのように【無心】でいられたら、、、
きっと驚異的な上達をすると断言いたします。
童心を持ち続けている大人は、魅力的で強いのです。

しかしです!
大人にはセルフ1がたんまりと溢れている。

『不器用だから見られるのが恥ずかしー』
『かっこいいプレイをしたい!』
『ジャイアンより上手くなって、しずかちゃんに良いところを見せるぞー』
といった、本当に様々な不安や期待が存在します。

セルフ2は、誰もが生まれながらにして持っているスーパー能力なのです。
赤ん坊が歩くことを覚えるのもセルフ2のおかげ、テニスが上手くなるのもセルフ2の働きなのです。

ところが、このセルフ2のスーパー潜在能力を表現しようとする時に、セルフ1が邪魔をしてくるのです。
まるで、息子のことを全く信頼していない親のように、ああすればいい!こうしろといったじゃないか!とひっきりなしにガミガミと命令してくるのです。実話。笑
スーパーエリートの息子は反抗的な姿を一切見せずに、自分を責め、自信を無くしていくのです。

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