『練習では打てるのに、試合になるとなぜか力む。』
『ストロークの欠点はよく理解しているが、その悪い癖から抜け出せない』
『格上の相手になるといつもチキる』
『自分にとって最大の敵は、いつも自分だ』
このように悩む人は多くいると思う。
もちろん私もその一人。
リラックスして打つことは大切なのはわかっている。
ただ、どうすればリラックスして打てるのか。
そのことに関しては、誰も教えてくれなかった。
いつも、正しい打ち方の方法や、
気合いだ!気合いが足りないんだ!などの根性論が、今もコートには響き渡っている。
でもよく観察してほしい。
正しい打つ方を強要される人、根性が足りないぞ!と怒られる人。
みんな一生懸命にプレーしているのだ。
でも、結果がついてこない。
そして気合いが足りないんだと、親やコーチに叱られる。
僕が思うに、真面目な人ほど、頑張っている人ほどこの現象になる。
やがて、自己嫌悪に陥る。
自己肯定感が下がり、テニスがつまらなくなる。
私は、何人もそのような被害者?を見てきた。
テニスは、スポーツである。
気持ちいい汗をかけるものだ。
苦しみの冷や汗や涙ばかり出るものではない。
正しい打ち方なんてない。
そう、きっぱりと断言できる。
プロテニスプレーヤーは100人いたら100人ともサーブのフォームが違う。
手のひら、指の長さ、骨格、性格、好きな食べ物、同じ人なんて存在しない。
私は、私である。
あなたは、あなた。なのである。
わたくし、もりたつおは、高校時代、地元の強豪高で練習漬けの毎日を送った。
それはそれは本当に練習した。
そして僕はテニスが大好きだったので、必ず毎日残ってサーブ練習をしていた。
当時の僕は、ただ上達したかった。
テニスというスポーツに、どハマりしていたのだ。
しかし。
全く上手くならなかった。
むしろ下手になった。
本当に下手になった。
練習すればするだけ下手になったのである。
センスがない、頭が悪いとかそういう問題かもしれないが。。。笑
いつもテニスマガジンの【これで入る!サーブのコツ!】みたいなもの見ながら
熱心にサーブ練習していたのだ。
しかし確実になにかが欠けていた。
当時の僕は、考えてテニスすることに一生懸命になっていた。
考えることと、感じることは対極の関係にある。
考えると感じれないし、感じると考えられないのだ。
僕は高校3年間を、全く感じずにテニスをしていたのだ。
今となれば、ある意味ですごく貴重で大切な3年間だった。
人は、きっかけや出会いがないと、変われない。
変化は自分の枠から飛び出た時に訪れる。
それは、少し怖いものでもある。
痛みなくして、得るもの無し!
人生は
ノーペイン、ノーゲインなのである。
さあ
一緒に変わろう!!
うおっしゃい!!!
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