静かな心を作り出し、よりよく知覚する絶対的な手段は、『物事を判断しないこと』。
よく見るとは、あるがままを目で捉えることだ。
打ったボールがアウトした時、大事なのは『コート外のどこに、どんな軌道で飛んでいったか』という事実を見つめること。
この時に『今のは良かった』『悪かった』あるいは、『自分は上手い』『下手だ』と判断しないことが肝心。
大切なのは、『この感じで打ったら、こう飛んだ』という、あるがままのデータ収集なのだ。
『良い』『悪い』という判断は感情であり、事実ではない。
打ったボールそのものは、常に無色透明の事実なはずだ。
それを判断することによって、あなた自身が事実を着色することになる。
するとデータは不鮮明となる。
少なくとも【無我の境地】でプレーしている人は、一打一打『今のは良かった』『悪かった』と判断しているだろうか。
判断とは、すなわちこれも雑念の一種にほかならない。
インナーゲーム(内側のゲーム)では、このように人間を自分【セルフ1】と自身【セルフ2】に分け、いかにセルフ1を抑えセルフ2の驚くべき能力を引き出すかという、精神集中の新理論でもあるのだ。
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